良い作品はそれだけで罪だ

今週号の週刊文春を見た母親から真偽の程を確認する電話が掛かってきた。要するにあんたは大丈夫なのかと言うことだ。
…たぶん大丈夫。
ウォン・カーウァイで題名がエロスとだとするならあまり名前買いは好きではないけれど見に行かないわけにはいかないだろうと考え、渋谷にGO。期待通り以上の出来。加えて三部作の一作目だったが、他の二作の出来が悪く寝飛ばしてしまった。
話はある姫様(もちろん本来の意味ではない)との経験をひたすら反芻して妄想する仕立て屋見習いとその姫との着かず離れずの七年間だ。深くは語らないが、あらゆる題材でこのエピソードを一時間にまとめたように映画を作られたら焼き直しを繰り返す種類のバカみたいな恋愛ドラマも純愛小説もエロゲーも存在価値がなくなる。もちろん全てがそうだとは言わない。他のメディアの領分を侵し、ある程度無効化している意味でこの作品は罪だ。もちろん見る側にとっては大歓迎。罪と言うのは取り分が少なくなった人の捨て台詞。言い換えれば、昨日の内容とかぶるけどこの作品は映画という名のメディアが本来持っている原義を通り越しているので価値がある。
コン・リーがとても上手かった。かつてチャン・イーモウが萌え狂っていた彼女は普通に僕も萌え萌えで正直彼女目当ての部分もあった(イクナイ!)が、本編では萌える余地もなく演技に見入った。同じくカーウァイが監督した2046でキムさんの出番が少なかったのは、英語がしゃべれなかっただけじゃない。彼は俳優ではなく、スターだ。
何だかすごく悔しい。こんな情感を日本人も理解できるはずなのになぜ作れないのか。たぶん反重力生命マーあたりが見ればもっと悔しいと思う。いわゆる泣きゲーが好きな人、あるいは純愛系のエロゲーってどんなもんだ?って人は見に行け。加奈の本道と君望の蛍にチャイナドレスと俗っぽさと主人公の倒錯ぶりを加え煮詰めた感じだ。キーワードは手。
多めにネタバレしちゃったな。