終わりの示されたモラトリアム

大塚英志は「キャラクター小説の作り方」第十講で木更津キャッツアイについてこう言及している。
一見アニメやマンガの枠組みのように死なない記号的身体で物語を構成しながら、人が成長し死ぬ現実をきちんと描いている点でこのドラマには物語があり、例も見ないほどの巧みな見せ方をしている。また様々な場所にちりばめられた一見無意味そうに見えるギャグ・小道具などの小ネタは、実は根幹となる物語のテーマを暗示している。
個人的な考察を加えると、まほろまてぃっくも同じような話の進め方。いや、まじで。
ぶっさんを今の僕の状況に置き換え、もしも僕の人生に物語があるとするならこれまで巡ってきた街の様子と経験に象徴されるディテールをおそらく新しい家が見付かるまで焼き付けていこうと思った。具体的に言うと、もう遊べないからひたすらに遊んでやる。今から一ヶ月を人生で一番楽しい時間にするつもり。憂さ晴らしとかそんなくだらない目的で遊ぶんじゃない。遊ぶために遊ぶのだ。
そんな気分になった週末だった。
豊田にゃー。来年は小野寺に期待。orz...
テレビを付けると、N響アワーが石田衣良をゲストに迎え池袋を音楽で巡っていた。まだ住んでるのに何だかうっすらと涙ぐんだ。
石田衣良が西口なら僕は東口、彼がクラシックなら僕はゲームのサントラを触媒にいつか小説を書きたい。
他のテレビから分かったことは、福永祐一ツンデレ系の牝馬が好き。松井大輔が試合にあたりまず初めに心がけることは妄想。うむ。素晴らしい。