二冊読了

今日のニュースはハニカミが面白かったこととフレイ様のフィギュアがついに同居人に見つかったこと。
何かほっとした気もします。(引用:惜しかった13番)
ダ・ヴィンチ・コードはきっとキリスト教を信仰して聖書を読み込んでいる人ならもっと面白いと思った。後半に拡げた展開はある程度の予備知識がなくては整合できない。上巻を読み終わった後と下巻を読み終わった後では満足感が違った。要するに長すぎる。聖杯が好きならFate/Stay nightをやった方がいい。すんなり世界に入り込むには別の予備知識が必要だけどね。
電波男は何と言うか濃厚だった。ジェネオン藍より青し劇場版Air真月譚月姫など)が電通100%出資の子会社なんて知らなかった。
どっちも内容的にはいいものでもっと世界を理解できれば面白そうだが、敷居が高い。
ソニーマイクロソフトが新しいゲーム機を発表した。このニュース自体は悪いことじゃない。より良く、より便利に、より楽しい暮らしを追求するのが人間だ。僕も時期が来たらおそらく買うだろう。でも、ファミコンスーファミ→プレステ→PS2と続いた流れのサイクルで見ると速すぎる。レベルの高いスペックでゲームを作れるってことはそれだけお金が掛かるってことだ。歴史を振り返ると、→の度に高い開発費用から規模を縮小して目を引ける物を作れなくなったりあるいはゲーム製作そのものから手を引く会社があった。もちろんゲームだってビジネスだ。力無き者は淘汰されるのはこの世界における唯一無二の不文律だ。しかし、どの世界でもそうだけど必ずしも財務的にダメな会社がダメなものを作ってはいない。お金がない中でいいものを作ろうとして実際に作ってしまう人たちだっている。ひぐらしのなく頃にというソフトは同人ゲームからいきなりPS2(ひょっとしたらPSP)に移植する。月姫と上にあるFate/Stay nightを作ったType-moonだって成り立ちは三国志の桃園の誓いのようなものだ。そんな会社と言うにはあまりにも小さく組織とすら呼べない突然変異の可能性がある人達は他にいくつも存在する。こういう人達は製作量の安さから一般にパソコンゲームを作る場合が多い。コンシューマのゲームはどんどんそういった熱気から離れていっているようでならない。いわゆるゲーム会社の人たちに熱気がないとは言わないけど、去年のゲームソフト別売上高ベスト10か20のうち8割方はリメイクか続編だったらしい。新しいものを作ろうとする姿勢が感じられないのも事実だ。もちろん実際に買った僕を含めた消費者にだって原因はある。旅行に行ってもよほど味わいを感じるか思い入れがない限りは同じ所よりも違う所のほうが新鮮味を感じるのだから、クソみたいなのを覚悟でその場所に行ったりゲームを選んだ方がきっと人生は楽しい。遊びは遊びで度を過ぎてこだわることではないけれど、選択する段階から含めた遊ぶ時にこそその人の物事に対する素直な気持ちが表れるのだからだ。友達の家に行ってリメイクと続編しかゲームソフトがなかったら、そいつの趣味と個人についてどう思うだろうか。ソフトを音楽CDにして、カバー曲とベストアルバムに置き換えてもいい。
ハードを作って売ってソフトのライセンス料をもらう。そういった最初の枠組みを作るのが一番儲かる(アメリカのことを考えれば想像は付くかと)のはどの産業でもどの業界でも同じだ。焦る気持ちは分かるけども、待って欲しい。裾野が広くてっぺんが険しいのが健全であり、ある意味理想を売るゲームでなぜこんなことが起こるのかと思っている。この新しいハードは青息吐息でふうふう言いながら理想に向かって育とうとしてる新しい可能性を持った裾野を焼き払ってしまうかもしれない。
すごいゲーム機でいろんなことができそうだけれど、開発費用が高くて無難に売れるのしか作れないとゲーム会社の声が聞こえそう。
柄にもなく二日連続で長い。明日は多分短い。