風の谷とにんべん

まず、使者が訪ねた二つ国と言う名の集落の概念を説明しなければならない。
各地に点在する二つ国の族長には、本来造形物でしかない蟲と語り合い様々なエネルギーに変える術を持っていた。通常の発電と加え、二つ国にはその通り二つの手段で日々の活力を得る手段があった。現在では萌力発電がこれに当たる。そもそも蟲という言葉自体、全てをZ軸に沿って生きている三つ国の人間が使う蔑称であった。二つ国の住人は主にからくり箱の中にそれら蟲の概念を閉じ込め各自保管し、神であるかのように崇拝していた。二つ国での蟲の通称は「キャラ」であった。なぜ彼らが二つ国と呼ばれるようになったかは諸説あり、先に説明した二つの手段で活力を得ていたとする説と彼らが崇めるキャラには第三の概念が欠けていたとの二説が有力だとされている。私の推論だと後説の方が真実に近い。もっとも現代での三大宗教とされている仏教・キリスト教イスラム教における信仰の対象に第三の概念が存在するかと言えば定かではなく、それゆえに例えばイスラム教では偶像崇拝が禁じられている。神は己の心の中に存在すると言う原理を噛み締めろと言うことだろう。その言葉は、形こそ異なれこれら三つ全ての宗教の経典に記されている。
二人の使者は三つ国の代表であった。彼らは世界からマナを引き出すプロジェクト「風の谷」の住人となるよう強要する。二つ国の族長は、風の谷が未経験と言うわけではなく(ただ出したことはなかったが、あまり信じてもらえない)また慣れる程場数もこなしていなかったため、話の種の格好の触媒であった。要するに連れて行くと面白いとのことだった。拒否権はなかった。従わなかった場合、集落のシンボルでもあるみつみ美里嬢デザインのオベリスクが略奪→売却されることになっていたからだ。面白いだけで連れていかれる事に不条理さを感じつつも結局泣く泣く族長は了承してしまうが、薄ら笑いを浮かべる使者の傍らで一縷の望みを掛け風の谷の住人になるのではなく反旗を翻してコミックメモリーズに行くのでもない第三の道を模索する。